地域・まちづくり

下関市に見る人口減少の地方都市の生き残り戦略

2024年11月13日(水)、下関市で開催された「九州DIYリノベWEEK」の不動産再生まちあるきツアーに参加してきました。下関がここ2年でいろいろと動き出している様子を、SNS等のタイムラインで目撃していたのと、大牟田わかもの会議で「下関の橋本さん」をお呼びしてお話を聞いていたので、「これは行かねば!」と勉強も兼ねての参加。行って非常に学び多き日になりました。

日本の人口減少という撤退戦はすでに始まっている

大学生だった2000年代初頭に「日本の人口減少」を知り、今後の日本社会や都市・地方・人々の暮らしがどう変わるのか?ずーっと関心がありました。おそらく社会人になってすぐに「まちづくり」に関心を持ったのは、おそらく「今後どうなるの?」と思っていたからなんだろうな、と思います。

日本が戦後50年味わった人口増加による経済成長と「真逆のサイクル」が、2025年ごろから始まることについて指摘している有識者や書籍は多いものの、多くのメディアでは“それ”を扱わないように感じますし、ましてや政治家は一切というくらい言わないし、政府の各機関が出す予測は楽観的だし、各地方行政や首長もそのような発言をしないのは「不安を煽る」ことに繋がるからなのだろうか?と納得はするものの、多くの国民が“それ”を知らないのは大丈夫なのだろうか?と思います。

今年11月、2024年の出生数が70万人を切ることがほぼ確実な半年間(1~6月)の実数がニュースとなり、SNSでの反応を見ていると「これやばくない?」という声ばかりで、人口減少スピードは上がっているものの、いつか来る未来が早く到来したに過ぎなくて、予測はすでにだいぶ前からされていました。

正直、日本の人口減少に対して打てる手はもうないに等しいくらい「試合終了」のホイッスルは鳴ってしまったと思っていて、「人口減少局面で、各業界・各地方、そして各個人が」どのような撤退戦を戦うか?のゴングが鳴って久しい状況と捉えています。

下関市がなんか騒がしくなってきている・・・

まず、下関市の「空き家」を見る前に、「まちづくり」では地理的位置・地形・歴史、そして交通をおさえておいた方が俯瞰してまちを捉えられます。

・壇ノ浦(平安)、幕末など歴史がある

・中国四国九州地方の結節点、山陰・山陽道の起点

・日本海、瀬戸内海、関門と複数の「海」の幸が集まる

・戦後は引き揚げ港として多くの人が住み着いた

・港と駅の周辺に中心市街地が形成

・すぐ近くの「丘」にまでビッシリと住宅が立ち並び人口増加

ということで、戦後は下関が非常に栄えていたことが歴史をたどるとわかります。しかしながら産業は工業はほぼ発達せず、じわじわと人口が減り始め2005年に合併して新「下関市」として再スタート。今では人口が約24万人という、それなりの人口規模があるものの、目立った産業は海産流通と観光でしょうか。そんな下関が抱える課題が、中心市街地のど真ん中と言える駅から徒歩圏内にある「丘」の戦後以降に密集して形成された「車も入れない路地しかない」住宅街の空き家です。

それが冒頭の写真でもわかります。

そんな下関市で、1人すごい人物が出てきました。橋本千嘉子(はしもとちかこ)さんと言います。

数年前まで下関の情報は、海を隔てたお隣北九州市と「いかに連携するか?」などのお話しか聞いたことがなかったのに、2023年くらいから一気に情報流通量が増えたのか?いろんなことが動き出している情報が飛び込んでくるようになりました。

山口フィナンシャルグループも、血気盛んにスタートアップ育成やカンファレンスを開催するようになったり、下関市とパソナが連携してワーケーションや複業推進などを発信し始めたり。そして2023年、これまで5年ほどコメンテーターなどを務めてきた九州DIYリノベWEEKにて、下関市の橋本さんが初参加して事例報告プレゼンを聞いたときに「なんかすごい人が出てきた」という感想を持ち、すぐにお声かけしました。

「この方をまずは大牟田わかもの会議で呼びたい!」

と思い、2024年8月にようやく実現。そして橋本さんの事例を詳しく聞いてビックリ、さらにその事例がここ2年ほどで起きたことと聞いてまたビックリ、さらに「なんでそんなに急に活動始めて、そんなに成果を出せているのか?」を聞いて3度ビックリさせられました。

そんな橋本さんの話を2023年の九州DIYリノベWEEKで目撃し、同じように「話を聞きたい」と思われたのが、当日基調講演で来られていたリクルートSUUMOの編集長である池本さん。その後、すぐに取材の手配をされて橋本さんを記事化したものがこちら!

(地方行政で、まちづくりや男女共同参画分野の方はもう必読かと)

参考:「下関って何にもない、ダサい」我が子のひと言に奮起。空き家再生で駅前ににぎわいを(SUUMOジャーナル)

地方のまちで新たに活性化を起こす方程式!?

これまで自分は、「“まちづくり”に関する仕事をこれまでやってきた」とは言え、大企業にも行政にも属していない、リソースも持っていない自分が活動したり経験できたのは「イベント・コミュニティ・場づくり・育成」などの分野。「それだけでまちづくりや活性化は難易度高すぎ」と、ずーーーっと思っているのですが、「不動産」という人の営みや生態系に景観も変える力のあるところに、イベントやコミュニティや多様なプレイヤーの育成が掛け算されると「まちが変わっていく」という方程式を実践している住宅街・ビル・地域・まち・都心部が可視化されるようになっています。

(だからなのか、そのような相談がここ数年少しずつ増えてお仕事になったりしてきたのだと思います)

自分は背景もリソースも持っていない、もちろん不動産も持っていないものの、2018年より地元福岡のスペースRデザインという不動産会社で週1社員として、このような動きを身近で見させてもらってきました。その方程式とは?

<不動産×コミュニティのデザインでまちを活性化する方程式>
・不動産(とくに1Fに、多様な)人が集まれる場を設ける
・イベントや勉強会などの場をつくる
・空き家をリノベしたりDIYしたり
・それすらもイベント化したり
・出店する人が現れ
・営みが生まれると生態系ができ
・新たな出店者が現れる
・この小さなサイクルを、まちの外やメディアと繋げる
・サイクルをだんだんと大きくして回す


この方程式には「不動産」や「拠点」などのハードが必須だし、そこに「イベントやコミュニティなどを起こしていく人」というソフトも必須で、それらハードとソフトが「人と人を繋ぐ」というアウトプットを起こすことで経済が回るし付加価値化していきます。結果的に小さな経済が回り出し付加価値があると分かれば、だんだんと投資的な動きが出てきて初めて「まちが動いている」というふうになっていきます。

そう、下関はこれが今すでに起こっていて、小さく回り始めたサイクルを、今後はどう外と繋いで継続していくか?というフェーズに移行しはじめているように感じました。そこに!今回のツアーでは、豪州の海外のビジネスマン(資産家)が空き家を買っていたり、その方と海外で不動産ビジネスを経験した日本人の方が共同で「空き家再生ビジネス」の会社を立ち上げたばかりだという話を聞きました。

下関市が策定した「リノベーションまちづくりガイドライン」

そんな動きの出てきている下関市は、2023年に「リノベーションまちづくりガイドライン」なるものを策定しています。これがまたしっかり分析してよくできている!

参考:下関市リノベーションまちづくりガイドライン

(このガイドラインに出てくる「まちなかの変化の兆し」の半分を、橋本さんがこの2年で起こしていることが凄すぎる)

この「リノベーションまちづくりガイドライン」は、あくまで不動産再生とそれに関する仕事づくり“まで”しか記載がないものの、これまで一切のお金・人を動かさなかった「空き家」が、観光も絡めたお金と人を動かし、情報発信し始めたら、そりゃーまちは動きます。そこに育成と多様な仕事づくりまでが絡み始めたら、プラスのサイクルが動いていきそうな予感がプンプンします。

そのための土台となる道しるべとしてのガイドラインを、不動産再生というのを起点に策定していることが素晴らしいです。多くの人口減少局面にある地方のまちが、駅前やまちなかを「再開発」という大きな資本を投入するも、失敗している事例が全国的に展開されている中(人口増加局面だと、それで全く問題ない)で、下関市が示した「できる限り補助金に頼らない」仕掛けをしていくリノベーションまちづくり、めちゃ大事な視点だと思います。

最後の課題は「若い人材」

とここまで絶賛してきた下関市ですが、やはり課題は「人材」。とくに若きまちのプレーヤーが圧倒的に不足していることは、下関の皆さんに聞いても出てくる課題です。繋がる環境はできつつあり、行政や民間の連携できるインフラもできつつあり、不動産をはじめとしたハード整備のリソースも揃ってきている中で、最後に「まちのソフト」である、イベントやコミュニティを起こしたり、そもそもそれらに参加するフットワークが軽い若者たちがどれくらい関わってくれるか?この中から次のまちを担い、コトを起こしていく人材が揉まれて育ってくるのですが、その全体のパイが縮小する日本では「若い人材は取り合い」です。

まちづくり人材、とくにプレーヤーやコトを起こす人材は、それを本業としている人よりも本業とちょっと近いがゆえの「まちを何とかしたいという危機感」から生まれて来ることが、確率的に高いと思っています。そうなると、産業界でこれだけの人材不足で優秀な人ほど都会に出て高い報酬がもらえる今、地方で他で稼ぎながら「まちづくり」にも精を出す若者は、果たしてどれくらいいるのでしょう?

1つの答えは、地方でもその土地に根差した商売を昔からやってきている家業で、「後継ぎをした20~40代の若い世代」に必然的に視線が向けられるはず。この世代の男性・女性問わず、その地域に誇りと責任と危機感を持つ人たちでネットワークを組み、観光やモノづくりで外貨を稼ぎつつ、まちを動かしていくサイクルを創りまわしていくことができれば、その地域・まちの持続可能性が高まると思います。

2022年度より相談いただいて仕事として始めた「大牟田わかもの会議」のコーディネーターも、自分自身は大牟田に所縁もない中で事業のファシリテーターとして(この指とまれ!ができないので)「この旗に集え!」を行い、集まってきた若者たちが企画をして次々にコトを起こすようになってきました。

大牟田市では、ここに不動産も絡めて「本業と近いところでまちづくりを行う若者」の数が増えてくると、確実にまちは変わる!という確信はあるものの、市の事業としては「若者のまちづくり人材としての育成」の部分しか携わっていないので、なかなか難易度が下がってくれないなーと思いつつ・・・今後のことについても協議しながら支援していければと思ったりもしています。

下関市も大牟田市も、カタチややり方は違えど、「不動産×コミュニティデザイン」で未来への期待値が上がることによる、次の投資(お金も人も)が入ってくるサイクルに、今後も着目していきましょう!



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