都心部では「テーマ型コミュニティ・イベント」が猛威をふるう一方で、
住宅街いわゆる地域においては「祭り」というイベントが人と人を繋ぐハブになっている。
2014年1月、福岡市西区役所にて各校区の男女共同参画の会長さん(1名を除いて全員女性)に対して、講演+ワールドカフェのファシリテーターを行いました。それがキッカケで、この7月・8月に3つの校区から、「ワールドカフェをうちの校区でもやって欲しい」と相談をいただきました。そして実際にその校区へ行き、打ち合わせを行いました。
2011年に福岡県男女共同参画センターあすばるの「あすばるフォーラム」にて、副実行委員長を務めて以来、県内各地の男女共同参画の分野で非常に多くの声をかけていただくようになり、多くの「地域」へ足を運んで話を伺ってきました。今回も校区の公民館へ行ってきたのですが、やはり「地域」は、その土地の住民同士の繋がりやコミュニケーションをどう作っていき、それを地域づくりに活かしていくか。安心安全な地域づくりから、様々な行事・活動・サークルに参画してもらうか、というのが「地域」にとっては重要なのです。そしてどこも共通する課題が、「担い手不足」でした。
昨日、京都の田中裕也さんという、自分と似たような経歴でNPOやまちづくり・教育系の分野で活動している方が福岡に来ているとのことで、紹介を受けてお会いしました。さらにそれがキッカケで、東京で「つなぐ専門家・コミュニティ&イベントプロデューサー」という肩書きで活動されている中島明さんという方とも知り合うことができました。
田中さんも中島さんも、そして僕も共通しているのは「都市型」で活動していること、というのを地域にいくと痛感させられます。僕もテンジン大学というテーマ型コミュニティ、いわゆる都市型のコミュニティ活動による「ひとづくり・まちづくり」を掲げているのですが、地域に行くと、まだまだその地縁は生きていて、公民館という拠点をもとにしたコミュニティが多く存在しています。
都市型が総じて20~40代の、主に「仕事の看板」もセットでコミュニティを形成しているのですが、これらはやはりインターネットの登場と、ここ10年ほどの経済停滞や労働力の流動化もあり、自然発生的に産まれてきたものだと思います。
しかし一方で、地域にいくと昭和時代からずっと続く、公民館を拠点としていたり、小学校である「夏まつり」をハブにしたイベントやコミュニティがあり、こちらは主に50代以上の方々が中心で、「仕事の看板」より「家族」が見える繋がりです。
この、昭和から続くコミュニティと、平成以降に脚光を浴びている都市型コミュニティと、その性質が大きくことなり、また抱えている課題も違うことに気づきます。さらに言うと、「地域」で課題となっている若い人の担い手不足の対象者は30・40代だったりして、今その年代は都市型コミュニティの方に華を感じており、そちらの方が楽しく、また「仕事の看板」も活きるため、意識が都会に向いてしまいます。マンション住まいにより、地域住民とのコミュニケーションがしにくい環境もそれに拍車をかけているように思います。
何が言いたいかと言うと、これらの2種類のコミュニティは、実は繋がっていて、人材を取り合っているなぁということに気づいたのです。上記に書いた「地域」は、実はこの福岡の都心部にる住宅街も「地域」として当てはまっています。
もしかしたら、自分がやっているテンジン大学も、それら地域から人材を奪うカタチで成立しているんじゃないか?ということも考えました。それでも、最近「テンジン大学のスタッフになった方に、テンジン大学に参加しはじめて、そしてスタッフになって変わったこと」を聞いたのですが、
・市政だよりをよく読むようになった
・公民館だよりにも目を通すようになった
・まちづくりとかに関心持つようになった
という嬉しい回答が返ってきて、都市型コミュニティとはいえ、「まち」との接点をつくる授業を多く企画しているコンセプトがちゃんと生きていることがたいへん嬉しかったので、テンジン大学としては多少は恩返しできているのかな、と。
ですが、都市型コミュニティがもし地域の担い手を奪っているとしたら、それも市場原理では仕方のないことだとしても、地域の様々な「人と人を繋いできた祭りや行事」も消えていく運命にあります。すでに消滅した校区もあると聞きました。これは実は大きな課題ではないか?都心を抱えた「まち」ほど、このような課題があるのではないか?ということに気づきました。
タイトルに時代格差と書きましたが、これは何格差と言ったらいいんでしょうか。テンジン大学として、というか個人として、若いステキな人材の意識を都心部に向けさせてしまっているので、少しでもそんな地域に恩返しという気持ちで、各校区からの依頼は全力で応えていこうと思った夜でした。