今から700年前より続くと言われる神聖な祭りが福岡県内にあるのを知っていますか?福岡市の北にあり、北九州市との中間点あたりにある宗像市。その宗像の地名の由来にもなっている「宗像大社」の年に1度の祭り“みあれ祭”に参加してきました。
「みあれ祭」とは
説には700年前から説と、弥生時代後期から説があるそうですが、宗像大社の由来を考えると弥生時代後期ほどではないにしても、かなり古いことにロマンを感じます。宗像市の沖合60キロにある「沖ノ島」という島と、大島という島、そして宗像大社にいる3つの姉妹の神様が、宗像大社で一同に会するのが、年に一度10月1日に開かれる「みあれ祭」です。
沖合60キロからはるばる船に乗って神様が陸地にやってくる!その船が冒頭の写真です。船に神様が乗って運ばれるという光景がまさにすごいのですが、この「みあれ祭」のすごさは大島から陸地に向けて運ぶときの「船団」です。
神が入ってくる港「神湊」
宗像市には2つの漁港があります。神湊(こうのみなと)と鐘崎です。すごいですよね、神の港(湊)という地名があること自体すごいです。この沖ノ島、「海の正倉院」と呼ばれているほど歴史的な遺産がしっかりと残っていて、いまだに島に踏み入れるには「禊(みそぎ)」をしなければならず、さらに「女人禁制」なのです。そうです、この祭りの神様が3姉妹なので、この船・船団には男性しか乗船していません。
僕は、縁あって鐘崎漁港の共進丸に載せていただきました。載せていただいた船は、普段は巻き網漁をするための船です。朝8時ごろ、この船に乗り込みました。
そして大島に到着し、大島の神様を別の船(どうやら毎年担当が違うらしい)がお迎えしている間、我々の船は「漁師の朝飯」をいただきます。
イサキとヒラマサの刺身に、イカの煮つけ
あらの味噌汁に、煮つけ
まさしく魚三昧です。
なにより、ここ福岡で流通している甘い醤油より、さらに醤油が甘かった!よく東京などから来た人が、福岡のご飯が美味い!と言ってくれますが、たいていは甘い醤油が使われるため、おいしく感じやすいのでしょう。魚に関しても、この甘い醤油じゃないと美味しく感じないくらい、僕は大好きです。ちょっと前に、北海道展があって「焼きウニ」を注文したところ、北海道産の醤油(全然甘くない)がついてきました。うっかりかけて食べたところ・・・。ウニが台無しだ!と思ったほどです。
さて、漁師の朝飯を食べたあと、いよいよ花火(のろし?)が打ちあがりスタートです。
この大島から神湊までの区間は、底がけっこう浅い割に水流が早いため、とても荒々しい波になります。九州から対馬・壱岐を経て、朝鮮半島にいたるまでの海域は、そもそも水深が浅く水流が早いので、世界有数の漁場でもあるのです。
今回は風がとても強く、小さい船が出港を取りやめたところが多いらしく百数十隻での船団だったそうです。それでも、密集して荒い波の中を進むその景色は、本当に感動ものでした。
海の正倉院?
なぜ沖ノ島が海の正倉院と呼ばれるのか?実は日本の歴史は、「日本書記」が登場してからいろんな年代とかがわかるようになってるそうなんですが、西暦でいうと300年代・400年代が記録がない空白の4・5世紀と呼ばれているのです。この沖ノ島は、その頃の歴史もしっかり出てくる、その前の2世紀くらいから「祭祀(さいし)」と呼ばれる、神様へのお祈り的な行為が行われていたようなのです。(そこまで詳しくないのでざっくり書きますが)
そして普通、大きな古墳などでも「墓どろぼう」がいて、宝物なんかは盗掘にあっているそうなんですが、この沖ノ島はその存在を隠されていた時期もあり(軍事的な理由で)、宝物なんかがそのままになっていたそうです。まさに島全体が博物館状態!
ちなみにそれらの遺産は、宗像大社の横にある博物館に展示されていますので、ぜひ見てみてください。
みあれ祭はこれからどうなる?
この伝統的な祭りですが、毎年陸上から多くの見物客が船団を見にやってきます。その後、陸地に上がった神様たちは宗像大社に入っていきますが、漁師さんたちの船団はお役を終え、それぞれの漁港で「なおらい」、つまり打ち上げです。
ですが、この船団、実は「任意参加」だそうで、毎年高騰していく燃料代のため、参加を見送る漁師さんたちも出てきており、船の数が減っているそうです。そんな中、なんとか観光名物にもなるし、地元にもお金を落として、経済的にもこの祭りを継続できないか、といろんな人がいろんな模索をしています。
実は僕はその実験的な一環として、漁師さんの船に載せていただきました。この歴史ある祭りとともに、後世に引き継いでいくため、今後も宗像とみあれ祭に注目です!!