「働き方改革」や「人づくり改革」という言葉を政府が言い出し、これから好きなことでちょっとした稼ぎをつくろう!という人がどんどん増えていく世の中がやってくる。そしてリカレント教育(いわゆる生涯学習)に政府が力を入れ始めるような流れにもなってきているようだ。そうなると、何らかの「講師」だったり、いろんな組織や地域での「ファシリテーター」の需要もまだまだ高まると思ってる。すると、副業としても「講師」や「ファシリテーター」をやりたい、やってみよう、という人がおのずと増えてくると予想する。いわゆる「学び」に関する提供側の人口が質を問わず増えることになる。
従来の先生が一方通行で話をするテーブル・イスの配置なスクール形式なセミナー。まだまだいろんな業種でもこれが一般的なようだけど、学習効果が低いことがわかってる。一方で参加者同士が議論したりアイデア出し合ったりのワークショップスタイルが良いかと言うと、やり方次第でいかようにも変わってしまうので、一概に良いとは言えない。
でも、教育や人材育成の文脈の中にあまり言われないことがあることに気が付いた。それは先生・講師・ファシリテーターをする人の「コミュニケーション力」だ。
先生業をしている人の多くは専業。だから常に同じような属性の人たちの前で話をしている。小学校の先生なら小学生ばかりに、地域の高齢者向けなら、高齢者ばかりに。専業している人たちは、その得意とする属性の人たちの心が動くポイントはよくおさえているが、他の属性の前になると、やっぱり共通言語が少ないため通用しなかったりする、という現場も目撃したこともある。そして、この専業をやってきている人たちには、「コーチング」や「ファシリテーション」という技術があまりなかったりもする。
一方で、参加者同士の対話を生む役割としてのファシリテーターも、職業としてはまだまだ確立しているわけではなく、本当のプロみたいな人は限られているし、自ら名乗ればファシリテーターになれるし、決まったフレームワークしかできないような人もいたりするし、いつも同じような属性の人向けにしかファシリテーションをしたことがないような人も多い。
ここに1つの問題提起をするとすれば、これからの先生も講師もファシリテーターも、異分野の人・多様な参加者がある「場」での経験値を持たなければ、仕事としての価値は高まらないし、なにより実力はこれ以上付かないのではないか、と思っている。逆に言うと、いろんな背景を持つ人とコミュニケーションをとる機会が常にあったり、多様な人と繋がりがあるような人は、自然と様々な年代や価値観を持つ人たちに合わせた「伝え方」や「促し方」のコミュニケーションを持っているため、講師としてもファシリテーターとしても可能性を秘めている、と思っている。
ようするに「多様な人とのコミュニケーションをとることができる環境」があるかないかで、その人の「伝える力」「促す力」が左右されるのではないか、ということ。
これに行きついた理由は、自分自身が10代から70代まで年齢幅のある学びの場での経験の中で、「今回はどうして自分が求められたのか?」を主催者と話す中で感じることが増えてきたからだ。「これまでの先生」「これまでのファシリテーター」が持ててない視点、伝え方、促し方、みたいなものが学びの現場ではウズウズと溜まっていることを感じるようになってきた。もしかしたら、違う視点から見ると、違う何かに行きつくかもしれないし、ただの自惚れの可能性もあるのだけど、このような感覚はこれまで外したことがないので、引き続き思考実験していきたいと思う。