AI、触ってますか?もし触ってるとしたら、どのような使い方をしてますか?
10年前から考えると、もう想像を超える世界が来ていることを感じます。実態はないのに、知性らしきものを持っているような、言葉を巧みに使い、質問には何でも答えてくれて、おせっかい以上に“情報を提供してくれる”のがAI。
このAIによって、人間はあらゆる面で大きく影響受けるのだろうなと思います。AI登場後の今と、情報に向き合うわたしたちの生き方について、近年モヤモヤしたものを抱えているので、書いてみようと思います。
情報ってなに?
英語に翻訳すると“information”。日本語の「情報」という言葉は明治以降に作られた言葉で、当初は軍事用語だったようですね。最前線にいる兵士に、敵情を伝える・最前線にいる兵士から、状況を伝えてもらう。戦国時代は、それを人が行っていたので伝令という「伝」の字が使われていましたが、明治以降はだんだんと間接的な手段(手紙→電波)になって、人じゃない「情報」という言葉が定着していったのだろうと推測します。
そして人類の近代化が進むと、土地(資源)の奪い合いである戦争から、資産(お金)の奪い合い・生み出し合いのビジネスに、「情報」の主戦場は移っていきました。
新聞 → ラジオ → テレビ → インターネット(当初はPC) → スマホ → ?
情報を広く伝達・獲得する手段である道具(デバイス)の技術が日進月歩で発達し、今では1台数十万(iPhoneの最新だと20万とかする)する小さな機械が、全世界的に普及するようになりました。
今では仮想空間(インターネット空間)に無限に増殖し続ける「情報」。総務省が2023年に出した情報通信白書では、まだまだ増えていく予測が載っていました。
参考:データ流通量の爆発的増加(総務省 R5年度・情報通信白書)
このときはまだAIがこんなに早く、こんなに身近な存在として普及するなんて、想像されていなかったんじゃないか?と思います。なので、おそらく予測よりも情報量は増えているはず。
ここで1つ疑問が。
ビジネスにおいては、「希少性に価値がある」とされます。昔は情報が貴重だったので、その情報を得る道具も高かった。しかし、今ではAIがある意味、無限に情報を生み出せる状況ができつつあり、ほぼ全ての人がスマホを持ち、AIにアクセスできる環境が整いつつあります。
今、「情報」と「その情報を手に入れること」への価値って、どう変化してきているのでしょう?
そしてこれが、仕事や人生にどう影響を与えているのか、この情報との向き合い方で、人は幸せにも不幸にもなるように思えて。ちょっとこのあたりが近年ずっとモヤモヤするのです。
情報に価値があるとすれば
「付加価値」という言葉があります。例えば、コンビニでミネラルウォーターが2種類売られています。かたや阿蘇の湧水のAという水。かたや鬼滅の刃のキャラクターがラベルで中身は同じ阿蘇の湧水のBという水。Aが120円として、Bが200円で売られていたとしても、まぁそうだろうねと思ってしまいます。
このとき、物体としては同じなのに、鬼滅の刃という情報が載っているだけで価値があるように感じてしまう、これが付加価値の正体ですよね。
じゃあ、このときの付加価値はどこから来ているのか?
鬼滅の刃を知らない人にとってはBの水の付加価値は、なぜ価値なのかがわからない。じゃあなぜ価値と感じるのか?価値に値段が付いているのか?それは世間が価値があると思ってしまうから?
漫画・アニメで世界的ヒットになり、映画は「全世界で公開された日本映画における歴代興行収入の最高記録」になっています。要するに、世間に知られていて人気があるから。これはどういうことかというと、歌がめちゃくちゃ上手いのに全く知られていない歌手より、TVやドラマにも出ている女優が歌うあまり上手くない歌の方が「売れる」という現象を起こすことと同じで、それが付加価値です。
これまでは、その付加価値を担保してくれるのが、情報を載せて世間に知らしめてくれる「新聞→ラジオ→テレビ」、いわゆるマスコミだったのが、インターネットの登場、さらにはスマホとSNSの登場により、確変が起きました。
一部の界隈だけに人気で食べている人たちの台頭
インターネットの登場前は、マスコミに何度も登場することの難易度はとても高かった。ましてや実績も実力もない、知られていない人が登場することなんて、ほぼムリな世界でした。ところが、インターネットの登場で、まずは「文章」や「集めた情報の編集」で人気になることができるようになりました。
個人でブログやポータルサイトを運用することで、一部の人たちに人気となることで、広告収入が入ったり書籍化できたり、講演会に呼ばれたり、さらにはそのノウハウを教えるという需要も生みました。2000年代初頭から2010年代のスマホが普及を始めたあたりまで。
インターネットの進化は早く、スマホが出てきてSNSや「動画配信」が容易になると、ユーチューバー、インスタグラマー、ティックトッカーと呼ばれる人たちが登場。このときまでは「フォロワー」が多くいることが大事で、そのフォロワーを増やすノウハウがあったり、「フォロワーを買う」人まで現れたり。2015年あたりから現在まで。
なのでこの10年ほどでブロガーと呼ばれていた人たちは姿を消し、世界がSNSで覆われていくのに付いていき、ユーチューバーになった人も多くいたでしょう。YouTubeの登場で新たに登場した個人も数知れず。自分の知り合いにも、Instagramの配信のみで人気を博し、ノウハウ提供のビジネスを立ち上げ稼いでいる人も数名います。
彼らが生み出しているのは“情報”であり、さらにいうと“付加価値としての情報”です。これらの仕事の広がりと、彼らが生み出す様々な情報に触れてみて、ここ近年モヤモヤを抱えるようになりました。
AIの広がりは情報でできた世界で何を起こすのか?
2026年になった現在、SNSには明らかにAIが作ったであろう動画が溢れるようになりました。これまで自力で文章を・写真を・イラストを・動画を制作していた人で、人気になった人たちも多かったでしょう。世界人口が今後100億人近くまで伸びる予測とは言え、世界中の多くの人の可処分時間の「奪い合い」をスマホという画面の中で行うのが、この情報でできた世界の実情です。
そこにAIが生成する情報が無限増殖され、さらにアルゴリズムにより人がどうしても見てしまう「インパクト」のある情報の生成はお手の物。
これまで蓄積したフォロワーを多く抱えている人や、SNSを活用して別のダイレクトに情報届けられる仕組みを構築した人もいるでしょう(例:Instagramで集客し、LINE登録させて定期的に情報を送れるようにする)。
この、「世界中の人の可処分時間の奪い合い」という実情で、情報を届ける道具(多くはスマホ)やアプリ(YouTubeやInstagram)が、今後どのように変化するかは、まだ誰にもわかりません。
ただ、最適化して“それ”だけで稼ぐ手段を構築した会社や個人も多くいる中、AIが、AIの進化が、この状況にどのように変化をもたらしていくのかも、全く読めません。
そして気になるモヤモヤの本丸部分は・・・
人の幸せに必要な情報とは何なのか?
人は本来、幸せになりたい生き物だと思っています。遺伝子的に組み込まれた集団の中で自我を保つ社会性ある生き物で、遺伝子を次の世代へと引き継ぐためや子孫繁栄のための様々な営みを行います。その中で、幸せな感情を多く発生させる個体と、不幸せな感情を多く発生させる個体が出てくる、この違いとは?
現代では、幸福を様々な切り口から研究がなされ、心身ともに健康な状態を保つための要素もある程度明確になってきています。WHO(世界保健機関)の健康の定義は「単に病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」としており、これを“well-being”と呼んだりもしています。
で、この健康や幸福に「情報」、さらに言うと「付加価値」はどれほど必要なのか?
SNSで「稼ぎ」を作っている人は、それこそ情報を発信し、それが付加価値として金銭に換金できているわけですが、どれほど人の健康や幸福に寄与できているのか?果たして、他に代替できないほどのものなのか?
スマホの画面で見るSNSには、強い中毒性があるように仕組み化されたアプリが並び、そこにAIが生成する中毒性高い動画や文字という情報がひたすら生成され、流れてくる。
確かに耳障りの良い言葉が流れ、没頭して楽しませてくれる「そのときだけの時間」は良いかもしれません。でも、それって、人々を本当に幸せにするの?人生を豊かにしてくれるの?
“幸福度”を高める生き方・暮らし方は変わるのか?
まだ、AIが普及する前の世界では、「Well – being」という言葉がSDGsの文脈で広がり、企業経営にも入ってきたりしていました。まちづくりにおいても、この言葉は広く使われ、様々な視点から議論も研究もされていたように思います。
“AIが普及する前の世界では” という枕詞になりますが、人がどのような経験をすると幸福度が上がるのか?その人が暮らす地域や都市が、どのようなまちだと幸福度が上がるのか?も世界中で研究がなされていました。
これを一言でまとめると非常に難しいのですが、「人間(にんげん)という言葉の“間”がカギである」というのが私の今のところの結論です。この“間”というのは、人と人の間、だけでなく、地域と人、組織と人、家庭と人、職場と人、自然と人、それぞれの間も含めた“間”と思います。人間が社会的な生物であり、全てのモノ・コトに名前を付け、自分と名前の付いたモノ・コトとの“関係”が生まれる、その“間”です。
この“間”に着目し、様々なモノ・コトとの関係を上手く育んでいくことが、幸福度を高めるポイントということになります。
※まちづくり・地域づくりの文脈だと、地域活動に参加することで地域の様々な人やモノやコトと関係が育まれ、幸福度が上がります。
でもこれは、“AIが普及する前の世界では”のは話。AIが生まれ、加速度的に情報が増殖し、「個人に最適化された情報ばかりに囲まれる」という私がモヤモヤを感じている世界が、さらに進むのであれば・・・
このモヤモヤの正体は、「自分と、自分以外との“間”が適切に育めない人が増えていくのではないか?」という不安なのかもしれません。
最後に、ここまで読んだ方に問いかけたい。
「あなたが、今この時代に生まれて、この文章をたまたま読んでしまったことに“意味付け”をするならば、その意味はなんだと思いますか?」









