日記

令和~和暦に見る元号・改元について考えてみた~

2019年4月1日(月)、新年度到来と週の始まりというダブルのスタートで、朝から街中は多くのビジネススーツを着た人たちで溢れていたように思います。その正午少し前に発表された平成の次の元号「令和(れいわ)」。多くの日本人にとってどのように映ったのでしょう?

歴史の専門家でもない、言語学を専攻もしてない、評論家でもない、右とか左とか言われたことも思ったこともない、そんな福岡といういち地方の俗人から見て、このデジタル化していく世界において起ころうとしている「改元」という現象がなんなのか、言語化してみたいと思います。

ちなみに僕は現在37歳、「平成」になったときは6歳で記憶が全くないので、当時のことを一切語れないし空気感もわからないので、今回の「改元」がどのような現象なのかたいへん興味があります。

 

多くの日本人にとって元号がどう映っているか?

新元号「令和」が発表された直後、やっぱりあるあるな街頭での新聞社による「号外配布」。ここ福岡でも西日本新聞社の本社にて号外配布された模様で、すごい人だったらしい。

日本各地の新聞社による号外配布に、多くの人が群がったことと思われますが、SNS界隈をのぞいていると、いろんな声がありました。主にまとめるとこんな感じ。

  • 令和だ!わーい!
  • 新元号だわーい!
  • 西暦でいいと思う
  • 和暦いらなくない?
  • 和暦って意味あるの?

その比率こそ違いますが、多種多様でそれぞれ感じ方が違うのがおもしろいですね。でも、肯定派も否定派も、おそらく無関心派(派なのか?層なのか?)も、日本で生活していく上では「元号」はついて回るからこそ、そこに意思がもたらされるのだと思います。戦前の「天皇バンザーイ!」だった頃には、「和暦いらない」なんて言論自体が言えなかったので、今の世の中は気軽にSNSで意思表示できて良い時代になったんでしょう。

 

和暦・元号が日本人に与えた影響を考えてみる

こちらは西日本新聞社が取材した、街頭インタビューでしょうか、「令和」についてのコメントをまとめの記事がありましたので共有します。

「令和」どう? 「大和言葉しっくり」「戦前に戻らぬよう」(西日本新聞社)

マスコミのほとんどが「令和」について、有識者から一般人までコメントを集めてコンテンツ化したものを大量発信していることと同時に、SNS通じて個人が「令和」について何かしら思考を奪われていることを見ていくと、改めて「元号」「改元」が日本人に与える影響力の大きさにびっくりします。

今回の改元が「憲政以来、初めて天皇が存命中に改元」ということを言ってますが、これまで126代の天皇の中で645年の「大化」以来248番目の元号になるそうです。つまり、天皇が崩御して改元してきた憲政時代より前の時代は、天皇が存命中に改元したことが何度もあることになりますよね。

では、これまでの日本における「元号」や「改元」はどのように捉えられてきたのか?西日本新聞社のWEBに、このような記述のある記事がありましたので紹介します。

 歴史的に見れば、天皇が政治の実権者だった時期は長くない。摂関政治を経て武家が台頭し、天皇と時の権力を握る為政者の関係は一様ではなくなる。天皇の権威、為政者の権力を、互いに必要とする時期が多かった。

乱世を治めた豊臣秀吉は正親町(おおぎまち)天皇に取り入ろうとした。正親町天皇は事前に、秀吉ら「天下人」となる見込みのある複数の武将と親交を結ぼうとしたとされる。

間違いなく言えることは、時の為政者が例外なく天皇を存続させてきたことである。そうでなければ自身を絶対化するために朝廷を滅ぼしても不思議ではなかった。戦後の連合国軍総司令部(GHQ)も天皇制を残した。歴史の中で紡がれた日本人と天皇の結びつきに意義を見いだしたと言えよう。

出典:新元号 令和 平和への「祈り」次世代に (西日本新聞社)

 

日本の有史以来、天皇家が政治をして国をまとめていく過程の中で「元号」という和暦使用を導入したわけですが、それが大化の改新(645年)以来、1374年後の現代も使われているなんて導入した当時の官僚(?)には想像すらできなかったでしょう。ところで「元号」の始まりはお隣の大国の古代中国が始めたそうで、その起源は紀元前にまで遡るそうです。ちなみに1912年の清国が滅んだ際に元号使用を辞めたそうで現在の中国は使っておらず、西暦とは別の独自暦を使っている国は日本だけのようです。(ネットでいろいろ調べてみた)

 

漢字二文字が持つハイコンテクスト、それが元号!

僕が「元号」や「改元」が世の中の空気をどうやら変えるらしい、と初めて知ったのは歴史小説から。

戦国時代、織田信長が上洛(京都へ上ること)したのちに当時の幕府で最後の将軍となる足利義昭と対立していた頃。足利義昭が「元亀(げんき)」に改元させてから、織田信長は苦難の期間を過ごします。そして足利義昭を追放した直後(10日後とかなので、本当に直後)に、ときの正親町天皇へ言って「天正(てんしょう)」に改元。

この「天正」という元号も信長らしいなぁと思うし、その後の信長の破竹の勢いを見ると「元号」「改元」が当時の時代の空気を表していたのがよくわかる事例だと思いました。

そう!もともと古代中国でも世の中の空気を変えたいときに「改元」をしてきていること、そして「元号」の多くが「古典」からの引用であったりすることから、たった漢字二文字にも関わらず、すさまじい情報量が詰まっていることになります。

そして日本における元号はまさに、126代続く(一応、そういうことになっている)、現代では“象徴”と言われる天皇と密接に関わっている歴史であり文化でもあり、1374年続いた日本という国の時間を支配するものでもあり、天皇が変わっても、ときの政権が変わっても、続いてきた抽象度の高いまさに「概念」と言ってもいいかもしれません。

 

ようするに、この「令和」という小学校3・4年生で習ってしまう漢字二文字の組み合わせに、かなり高度な「意味」や「文脈」が付与される行為が「改元」。だからこそ高すぎる・情報量が多すぎる「文脈」を感じることができるのが「改元」。その上手く一言で言えない、言語化できない「何か」を感じてしまうからこそ、これだけ日本人の心が奪われてしまうのだと思います。

もしかしたら、「和暦なんてイラネ」「西暦でヨクネ」と言っちゃう人は、この「ハイコンテクスト」に本当に興味がないか、大衆の心が動いている現象自体が本能的にイヤなのか、ただ単によく知らないだけなのかだと思います。

ただ、無関心層をのぞいた肯定派も否定派も含めて、改めてこの「改元」という現象が与える日本人への影響力って本当にすごいし、「元号」という共通言語を続けてきた日本って、なんかわからないけどおもしろいなぁと思うのです。

 

令和時代をあなたはどうする?

5月1日の令和元年に始まり、令和1年の東京オリンピック、日本人の意識がギュっと集まる象徴的なイベントがあと1年半ほど続くことになりますね。さて、20年後、30年後に「平成の大人たちは何もしなかった」と言われそうな気がするので、50年後、100年後の日本人たちが「令和の大人たちも何もしなかった」と言われない世の中にしていかないといけないですね!(笑)

 



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